1994年、浜松市営中田団地に入居。
もとより海は好きであったので、凧揚げ会場を横切って砂浜を自分の庭のように感じ遊んでいアタ。時には妻とふたり、コールマンのツーバーナーをカゴに乗せ海まで行ってランチを作って時を過ごしたりしていた。当時流行していたボディボードを手に入れ海に出るようになった。そしてサーフィンも。
海で遊んでいるうちに、海岸線が短くなっている気がした。
「なぜだろう?」
どうやらここ遠州灘の砂浜では「海岸侵食」という課題があるらしい。
土木事務所主催のシンポジウム出てみたり、そこで会う人たちに聞きながらこの砂浜の先が気になってきた。
そして、海岸侵食対策として海にテトラを入れる事となる。
感情的に許せなかった。その日、作業船がやってきたところへ一人パドルアウト。
無意味であるが、抵抗のアクションを起こしたかったのである。
それでもこの海が好きで、中田島砂丘の目の前の土地に家を建てることにした。
この時から、地域で海岸侵食の課題に取り組む「海岸侵食から住民をもまる会」の皆さんと仲良くさせていただくことになる。
彼らが行う堆砂垣の設置を手伝ったりした。
東日本大震災の津波被害を鑑みて、この浜松市域の海岸線17.5kmに防潮堤の建設が計画された。
この時から、中田島砂丘の地域的価値を未来につなげていこうと活動する事となる。
「昔、中田島砂丘っていうところがあったんだって?」
と未来の浜松の人たちに言われないように。
中田島砂丘の自然保護は目的ではない。なぜなら、中田島砂丘はすでに(戦後の防風林植林から)自然ではない。人の手が入った場所なのである。だからこそ、人が関与して次に繋げていかないと。
ましてや、防潮堤というとてつもない人工物のインパクトは大きすぎる。
人と自然、そして地域財産のあり方を考え、行動、表現することがテーマになっている。
中田島砂丘と人はどう関わっていくのか?
その姿を、模索を表現していくだけである。
「砂おじさん」 : 中田島砂丘観光協会 代表 松下克己
「砂おじさん」とはどんな人物か?
ブログをご覧ください。砂おじさん – 遠州の暮らしのアーカイブス